今年の4月で熊本地震から丸3年になります。4月14日夜9時過ぎの1回目の地震。いまだ経験したことのない激しい揺れに、最初は何が起こったのか全く分かりませんでした。
そして翌15日、散乱したガラスや書類などを片づけ、電子カルテを使用できる状態に整えて、ようやく床に就いた16日の夜中、さらにひどい本震に見舞われました。そして院内はもっと悲惨な状態になっていました。益城町が二度にわたり震度7の地震に襲われるなんて、誰が想像したでしょう!
しかしぼう然とする間もなく、クリニックには薬を求めて次々と患者さん方が来院されました。
「家が倒壊して薬が取り出せない」「遠方に避難するのに薬がない」「インスリンも針も消毒綿もない」と多くの声を聞きました。電気も水も来ない中、かろうじて片づけた待合室で診療する院長。自宅も通勤路も被災して大変なのに、交代で出勤するスタッフ。みんな必死でした。私たちは食事も調達できないので、自衛隊の炊き出しにも並びました。そのような極限状態で、私たちは多くの方々に助けていただいたのです。飲料水や消毒液・マスクなどを沢山送ってくださった方、医療機器の点検に見えた方、片づけの応援の方々。
そして何よりも嬉しかったのは、自宅が全壊や大規模半壊されたにもかかわらず、「あなたたちも大変ね。身体に気を付けてね。」と優しく気遣って下さる患者さん方の言葉でした。
あれから3年、地震を境に益城町は大きく変わってきたと感じています。そしてこれから都市計画が進むとさらに変貌を遂げていくのでしょうか?町の形は変わっても、そこに暮らした人々の記憶や思い出は大切にしたい。そして何よりもお互いを思いやる優しさはいつまでも残ってほしいと願っています。