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母のふるさと



今月91歳になる母のふるさとは、岡山です。7人兄弟の4番目。 貧しいながら、戦時色が濃くなる少し前の、のどかで平和な幼少期を過ごしたそうです。

私は数年前岡山を訪れた際、図書館で昭和初期の市街地図を手に入れ、母にプレゼントしました。

町の様子は変わっても、町名は結構そのまま残っていて、母は地図を眺めて、あまりの懐かしさに涙を流しました。

そして今年、妹に声をかけて、母が歩けるうちにと、岡山旅行をしました。40年ぶりの母娘水入らずの旅。しかも80年ぶりの岡山とあって、母の興奮は相当なものでした。

私たちはレンタカーを借り、母の記憶のままに、生家、小学校、自宅近くの練兵場跡、遠足で行った牧場、ラジオ体操をしていたお寺などを回りました。

生家は無人でしたが、奇跡的に残っていました。庭は荒れ放題。でも、家の横の用水路も、共同洗い場にあった水道の蛇口も、当時のままです。見つけた母は涙、涙。一気に80年前に戻り、思い出話をたくさんしてくれました。

祖母がとても優しくて怒ったことがない人だった。祖父母は一人っ子同士の結婚だったので、子どもを沢山欲しくて、兄弟が多かった。近所の人たちと親戚の様に仲良く暮らしていたこと等々。幸せな子ども時代だったようです。母は、その後移り住んだ台湾で、大好きな母親や姉を亡くし、終戦後は着の身着のまま日本へ戻り、家族身を寄せ合うように生きてきました。苦労も多かったと思うけれど、幼い頃の記憶は、母をとても幸せにしてくれたようです。

そして、妹や私も母にたくさん話を聞いて、あたたかい気持ちに満たされました。おかあさん、ありがとう! 

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